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2024 .04.20
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春日武彦の『顔面考』という本を読みました。表紙のインパクトでふと手に取り、裏表紙を見ると「観相学、替え玉妄想、ドッペルゲンガー、生来性犯罪者、醜形恐怖、人面犬・人面疽、整形手術、マンガやミステリに描かれた顔……博覧強記の精神科医が、比類なき視座から綴ってみせた、前人未踏の〈顔〉論」だそうで。
その中に、面白いことが書いてありました。
「十九世紀のはじめまでは小説のなかにヒロインの顔の描写というのはほとんど見られない」。

十九世紀のはじめにはヨーロッパで観相学ブームが巻き起こったのだそうです。なぜそんなブームが、というと「都市の巨大化、すなわち人口が都市へ大規模に流入するようになった(中略)互いに得体の知れぬ者(すなわち『見知らぬ顔』の持ち主)同士が出会うことが日常茶飯事となり、そうした際に相手を見定め、見極めるための手引きとして観相学はもてはやされることになったらしい」です。内面を見ることはできないから、せめて表に出ている顔からそれを推し量れないかと考える。その意識の変化の影響を受けて小説も、容姿を描写することによって登場人物の内面を表現することを試み始める。

現実では顔と内面は必ずしも一致しませんよね。だいたい、表情が性格を表すっていうのは納得いきますけど、観相学ってそういうことじゃないじゃないですか。目の幅がどうとか鼻の長さがどうとか黒子の位置がどこだとか、取り上げられているのは顔の「作り」じゃないですか。それで人格や運命を判断できるっというのは、薊野は信用していません。
ただ、小説においては容姿の描写って、登場人物の人格と結構直結しているのではないでしょうか。ていうか、小説の登場人物を決める時に容姿から入ることってあんまりないと思うんです。まずストーリーがあって、その物語の中で楽しく動いてくれそうな登場人物を考え出して、このひとってどんな顔してるのかなーと考える。人物と物語はひっくり返ることがあるだろうけど、「まずこんな顔をした人がいる。この人ってどんな性格してるんだろう、どんな出来事に遭遇するんだろう」っていう順番で考えることって、メディアの形態からしてほとんどないんじゃないかと思うのです。となると当然、その人物の内面を表に出す入口というか、スクリーンとして設定することになりますよね。

振り返って、サイトに公開している自作を考えてみると、具体的に容姿の描写してるのって『鼓動』くらいじゃないかと思います。あれで主人公・鼓動屋ちゃんが「人間離れしています」というのを主張する手段として綺麗だ綺麗だと書きました。でも他の、普通の人間の容姿描写にはあんまり気合入れていません。苦手っていうのももちろんあるんですが(誰かに似てるとかじゃない、存在しない人間の顔を一から考え出すのってすごく難しい)、読んでくださった方が、発言や行動から「こいつは多分こんな感じ」と想像してくださればそれでいいと思っているので。
それよりも実はちょっと気にして考えているのは、(嫌な言い方ですが)「容姿の偏差値」です。普通よりちょっと綺麗か、すごく整っているか、ちょっと崩れているか、かなり自信が持てない顔か、良くも悪くも特に話題にならないくらいの「中の中」か。なぜかって、それによって周囲からの接し方が変わり、それは性格や、本人から周囲の人間への接し方にも影響を及ぼすと思うから。容姿偏差値が極端な人に容姿にまつわるエピソードが何一つないのは不自然だと思うし。

こういう話になると「映像化」というキーワードが頭を過ぎりますね。芸能人、特に俳優さんっていうのは、容姿偏差値が高い人が多いわけじゃないですか。だから小説内では特に容姿関連の話はないのに映像化してみたら「このヒロインってこんなに美人だったんですか!」とか。そういうのが「あれはミスキャスト」とかいう文句につながるんだろうなーと思います。
そうそう、先日までNHKで放送していた『八日目の蝉』(角田光代原作)というドラマを観ていました。不倫相手の子どもを堕ろして妊娠できない体になってしまった主人公の女性が正妻との間に生まれた赤ん坊(女の子)を誘拐するという設定でして、主人公の女性は檀れいが演じていました。
で、赤ん坊を連れ去ってから数年逃げ続けるので、当然子どもは育ちます。四、五歳になった赤ん坊を演じる子役の女の子と、誘拐犯である檀れいが
……そっくりなんです。
子役の子、小林星蘭ちゃんというそうですが、目のぱっちり感とか、輪郭のふんわり感とか、しかも髪型までおそろいにしてるもんだからもうそっくり。これはどうなんだ、設定的に駄目じゃないのか? むしろ似ていなければ似ていないほどいいんじゃないのか?
原作は読んでないんですが、この二人が顔そっくりだという設定にはきっとなっていないはず。現実には「他人のそら似」っていう言葉はありますけど、でもここは似てたら駄目だろ。



長々書いてしまいましたが、まあ、顔って難しいなーっていう話でした。
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